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かれこれ４年、沼田道場と関わっている。途中全く出入りしない時期もあったが、基礎訓練だけはしていた。
沼田のじいさんは、相変わらず息も切らさずに稲作の攻撃を交わしている。
「腕を上げたな」
動きを止めたじいさんは、懐から出したハンドタオルで額の汗を拭いながら言った。
「ほんとか？」
にやけて間を詰めた稲作は、ポカリと頭を殴られた。
「痛えな、なにするんだよ」
「油断をするなと言っただろう。お前はだまし討ちに会うタイプだ」
「なんだよぅ」
「お前は、腕も強くなったが、心も強くなったな。ちゃんと成長している」
背を向けたじいさんは言った。
「また、だまし討ちにする気か？」
「まあ、座れ。今日は話そう」
「何だ？」
「お前は、すでに覚悟は出来ているな」
「智紘の事か？」
「あの子の身体は――」
「言わないでくれるか？あんたは全てお見通しの仙人だそうだ。智紘が言っていた」
「では、あの子が言った事を言おう。もうすぐ月から迎えの使者が来るらしい」
「……じいさんもそろそろやばいと思うか？俺もずっと胸騒ぎがしているんだ」
「それをきちんと受け止められているな？」
「そのつもりだ。俺はあいつと会って十二年だ。今度ばかりは阻止は難しいような気がする。その時は無事に送り届ける。あきらめたくはないが」
「お前は大丈夫なようだな。……後は沢木か」
「って誰？」
「お前、毎日顔を合わせてて知らんのか？呆れたやつだ。絹さんの名字だ」
「マジかよ、考えた事もなかったぜ。絹さんの事は任せろ。あの人は俺たちの大切な人だから」
「広木、上がるよ。相変わらず汚えな」
稲作のおんぼろ桃色アパート。
ここで２人きりになるのは２度目。高校時代の智紘の入院騒ぎ以来だ。
「悪かったな。珍しいじゃないか１人で。和田の件か？」
ここのところ和田のストーキング行為は止んでいた。週末にしか戻って来ていないせいかもしれない。
「清水が寝返ってから、ぱったりご無沙汰だ。親父も忘れつつある。所詮あいつは一人では何も出来ない男なのさ」
「そうか。そりゃよかった。……もしも、またあいつが何かやってくるようだったら警察に通報しろ。あいつは本物のストーカーかも知れねぇ。いつも見張っている訳にいかねぇから。俺には智紘もいるから」
「何マジになってるんだ？自分の身ぐらい自分で守れるさ。……よくみんなでここにたむろったもんだ。あいつらどうしているかな。みんな違う大学に入っちまったからな」
「あいつらの女子大生姿っていうのも想像つかねえな」
「あたしを見て想像してみなよ。案外上手くやってると思うぜ。ところで、あんたは春菜ちゃんと上手くやってるのか？」
「別れた」
「この間だって、いたじゃないか」
「おねえと同じ理由で呼んだんだ」
「なぜ別れた？」
「智紘と結婚しろと言われたよ」
「しょうがないねぇ。いいのかい？そんな理由で別れて」
「いいんだ」
「少しはまともな職に就いたらどうだい？いつまでも若くはないんだ」
稲作は、いまだに便利屋の手伝いをしている。
「ああ、もうすぐそんな日が来るだろう」
「当てがあるのかい？親父の会社に面接に来ないか？話をしておく」
「当てはねえが、コネは嫌いだ。……まだ暫くはこのままだ」
「また、森本か？あんまり振り回されるな。いつか言ったが、やつも望んじゃいないんだろう」
「おねえ、あいつ早死にするって、言ってたよな」
「ああ、言った。台風が通った直後の利根川に飛び込むようじゃ、長生きは無理だ。しかも夜にだ。あいつはイカレてる」
「智紘、もうすぐ死ぬよ」
「あ？お祈り効いたんだろうが？お祈り中に啓示でも下ったか？新興宗教でも開くのか？」
「おねえには、感じないのか？……本人は、感じているらしい」
「何をだい？」
「あいつ、俺の拳法の師匠に、月から迎えの使者が来ると言ったそうだ」
「あんな貧相なかぐや姫があるもんか。帰って来なくていいって言われるぜ」
「迎えが来たら、普通の人間には太刀打ち出来ねぇんだよ」
「広木、あんたどうかしてる。マジになっているのか？」
「おねえ、本当に感じないのか？」
感じていた。あの悟ったような様子がいやだった。あれは迎えが来るんじゃない、自ら呼び寄せているんだ。様子を探りたくてここに来た。稲作は稲作であの、お祈りをしていた時と同じ深刻さがある。
「感じないね。あんた達どうかしてるぜ。医者に余命何日って宣告された訳じゃないんだろう？死ぬはずがないじゃないか」
「……そうだよな。けど――」
「踊らされるな。あいつのペースに巻き込まれるな。あたしはそんな予感は信じない」
「相変わらず強いな」
「体調が悪いからマイナス思考になるんだ。早く元気にさせて、やつの好きな事いっぱいさせてやればいいじゃないか。思い出いっぱい作って、１０年後に笑い飛ばせばいいさ」
１０年後を思い浮かべた風景に智紘の姿はなかった。
「……」
「広木……本当は今日、胸を貸しに来た。あんたもっと嘆いてると思ったから。あんた、強くなったよ」
「俺には支えなきゃなんねぇ人もいるからな。……おねえ、胸は貸してくれなくていいけど、ここに来て、一緒に座ってくれないか？」
いつかお茶を飲んだ日のように、２人は部屋の隅に座った。昌子は、稲作の肩にそっと頭を預けた。
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