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「おじいさん！」
「おお、姫も来たか」
「はい、咲き具合を見ようと思って」
「わしもだよ」
沼田のおじいさんは智紘のことを姫と呼ぶ。男らしくないから仕方ないんだとあきらめている。
秋咲きのばらが咲き始めている。子供の頃に、ばら園の管理人になりたいという夢まで持っていた智紘は、春と秋には毎日のようにここに来る。
ここのところの智紘は、コンビニでの夜間アルバイトが定番になっていた。仕事明けにおじいさんの気功に参加して、〔月の光〕に寄ってから帰って眠る、という生活サイクルになっている。結局夕べは稲作に会えなかった。でも、絹さんのところには顔を出しているはずだ。
おじいさんと二人で、少しだけ開けられている門をくぐる。管理人が、早起きの散歩の人のために開けておいてくれるのだ。
門を入って正面には、小さな噴水のある浅い池がある。夏には子供達が裸足になって中で遊ぶ姿が見られる。右手は香木の森と題された木が中心の散策スペース。左手には小さな温室。噴水を横目に、一度階段を上がるとばら達と会う事が出来るのだ。
「姫、見るな！」
先を行くおじいさんが厳しい口調で言った。
「何です？」
園内が見渡せるように高くなっている広場には、ベンチが置かれている。ばらの側に行くには登った段数と同じだけ降りなければならない。
蔓ばらのアーチの下に見慣れないものが横たわっていた。胸が赤く染まっている。おじいさんは見せまいと、腕で智紘の顔を覆った。智紘が惨殺死体を見たせいで夢の中に行った事を知っていたからだ。でもあれは大切な人の死体だった。ここにいる人は知らない人だ。
でも……。身体がガタガタ震えだした。
「姫、気を確かに持て」
「嫌だ！」
智紘は、おじいさんの腕を振りほどいて階段を駆け下りた。
遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきた。第一発見者の管理人が通報したのだろう。
階段のすぐ下に大量の血溜まり。その中に大きすぎるスニーカーが一つ転がっていた。
一緒に買いに行ったスニーカー。「ラッキーだぜ、俺のサイズがあるとは思わなかった」あの時、稲作は嬉しそうに笑っていた。
「違う！稲作のじゃない！」
裏口まで点々と続く血痕。門を境に痕跡はなくなっていた。自動車で連れ去られたのだ。
「そこで何をしている！？」
「すまんね、私たちはあの死体の第二発見者だ」
同じく血痕を追ってきた警官に尋問された。
「その子は？」
「私たちといっただろう。この子は心が弱いのでね。気を失ってしまった」
智紘は血痕の主ででもあるかのように青い顔をして沼田老人の腕の中にいた。
「その血痕の主は友人かも知れんのだ。電話をしてみたが、携帯の電源が切れている」
「あの――」
「沼田だ」
「沼田さん、あちらで詳しいお話を伺いたいのですが？」
「そのつもりだよ」
「沼田さん、その子は私が連れて行きます。救急車の必要はありませんか？」
「ただの貧血だよ」発作ではない。
沼田老人は智紘を抱いて前を行く若い警官の真っ直ぐな背筋を見ながら思った。
世の中は不公平に出来ている。智紘とあの警官は同じくらいの歳だろう。稲作も……。
「まだいたのか？裏口から出ればよかったぜ」
「あなたしか頼る人がいないんです」
警察の正面玄関。
智紘は、何度も見咎められながら、彼が出てくるのを待っていた。“ばら園組長殺人事件”の担当刑事だ。
「あまりうるさくすると、公務執行妨害だぞ」
「何かわかりましたか？」
「お前に言うことは何もない」
「こちらには何も連絡がありません。彼は巻き込まれただけの善良な市民なんです。なぜ、新聞はあんな書き方をするんですか？なぜ、あなた達はもっと真剣に彼を捜してくれないんですか？」
「善良な市民だと？笑わせるな。やつは不良上がりのチンピラだ。起こるべくして起こった事だ。ゴミが勝手に消えてくれたと喜んでるだろうよ、世の中は」
「酷い――」
ちょっと言い過ぎたか。
昨日もしつこく付いて来て手を焼いたのだ。今日はもう付いて来ないか。
世間の反応は別として、俺は広木を憎めない。森本を見るのはあの“壊れた洋館事件”以来だが、広木は彼を見放さずに、こうして二人の仲は続いている。
山田は振り返って言った。
「俺たちだって――」
付いて来ないはずだ。座り込んでいる。
「おい、人の迷惑も考えろ」
「……さわらないで……ぼくにさわらないで」
と、言われても警察の正面玄関前だ。警備も寄ってきて迷惑顔だ。
「困るんですよ、知り合いですか？何度も注意したんですが、帰らなくて」
「悪かった。さっきのゴミ発言は撤回する。俺たちだってちゃんと調べているんだ。広木が真面目に働いていた事も、あの日仕事で呼び出された事も。だから――」
「よかった。……彼の事、よろしくお願いします。また明日伺います」
彼は立ち上がると、よろよろと帰っていった。
また明日来るだと？
山田は悪霊にでも取り憑かれた気分だ。
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