みちくさ―極彩色の悪魔― 前ページへ ４ 次ページへ
４
洋館に戻ると、京介は使用人の部屋に案内してくれた。
執事は西田武雄という名前で、先々代の時から４０年間ここで働いているのだそうだ。
「光様、今日はお兄さまがいらっしゃったから忘れてしまわれましたね。午後にこちらにおいでになるはずでしたが。……明日でもよろしいですよ。ちゃんとあなたの分のクッキーは取っておいてありますから」
彼はにこにこ笑いながら言った。机の上に碁盤とクッキーの缶が置いてある。碁を打ちながらお茶をする予定でもあったのか？
明日誘われたらどうしよう。ぼくは囲碁のルールを知らない。
メイドは池田治子。京介が”おはるさん”と言っていたのは彼女の事だ。彼女は３０年ここにいるらしい。執事と名字が違う。夫婦ではなかったようだ。
おはるさんは、智紘の顔をじっと見ると、言った。
「光様、そろそろ美容院に行かれた方がいいですね。あまり御髪が長いと女の子と間違われてしまいます」
最後の部屋は主が不在だった。シェフは厨房だ。彼もまた３０年来ここにいるらしい。山岡登美雄という名の彼は、ここ１０年、光だけのために腕をふるっている事になる。月に一度は京介の分も作るのだろうが。
「山岡さんの作るフランス料理は美味しいんだよ。こんな所で個人のためだけに料理するなんて、もったいないと言った事があるんだけれどね。彼はここののんびりした生活がいいのだそうだ」
厨房には山岡老シェフが一人。
「お食事は７時になります」と言った。
食堂は広い。智紘の家の８畳のダイニングキッチンとは違う。大人数で使われる事がないのが寂しい。隣の広い空間は、談話室か何かかな。古びたグランドピアノが置いてある。京介か光が使ったのだろう。ソファも置いてあるが使われていないようだ。
浴室も広い。自分の家と比べるのは虚しいから止めるとして、何処もピカピカに掃除されている。蛇口から血なんて出てこなそうだ。
「ここは天然の温泉が引かれているんだ。僕が毎月来る理由の一つでもある」
「サウナもある！」
子供みたいに喜んでしまった。京介は笑っている。
「後でゆっくり入るといい」
書斎に続く蔵書室は素敵だった。小さな町の図書館ぐらいありそうだ。京介が言っていた通り、お祖父さんとお父さんは植物が好きだったのだ。植物系の本の割合が多い事を除けば、バランスの取れた良い蔵書だ。
「後で何か借りに来てもいいですか？」
今夜はよく眠れそうもない。夜が長くなりそうだから。夢のある本がいい。間違ってもホラーは止そう。
「どれでも好きな物を」
２階は夫婦の寝室、家族の個室、客間が何部屋かある。どの部屋も光の部屋と同じ、普通の部屋だった。
「僕は、昔の自分の部屋を使っている」
京介は自分が使っている部屋に通してくれた。自分の部屋だったというのに、置物とか壁掛けとかの私物は全くない。他の客間と一緒だった。今日持ってきた荷物だけが、ベッドの上に置いてある。家を出た者の気遣いなのだろう。ちょっと寂しい気がした。
パタパタパタパタ……。ルームシューズで廊下を走る音がする。老齢な使用人達には出せないだろう軽快な音だ。
京介は慌てて廊下を見に行く。
戻ってきた京介が訊ねた。
「今の、聞こえた？」
「はい」
「僕は後ろ姿を見た事があるんだ。その時は赤い服を着ていた」
「何ですって？やっぱり光くんは何処かにいるんですか？ぼくを見てみんなが驚かないっていう事は、今のぼくと同じ姿をして？――何故、兄さんを避けるんだろう」
「……見捨てた事を許してくれていないんだよ」
本当にぼくは余計な事をしたのかも知れなかった。本人がいるのなら偽物は必要ない。
でも、何故日記の続きがないのだろう。
何処かに部屋替えをしたのか？
まだ案内されていない地下室でもあるのか？
「最後に、開かずの間だ」
「え？」ホラーゲーム？
「時計台の機械室。急階段を上らなくちゃならないんだ。ふふふ、そんなに怯えなくていい。鍵は、僕と光しか持っていないんだ。だから、他の者にとって、開かずの間なんだ」
「京介様、京介様！お電話です！」
メイドのおはるさんの呼ぶ声がする。
「ここにはかけてくるなと言っているのに」
京介は舌打ちをしながら階段を下りていった。智紘も続く。
携帯が圏外である事はぼくが保証する。ここでそんな物を持っているのは京介だけだろう。だとしたら、緊急連絡にかかってきた電話に怒ったら可哀想だ。
「何だって？青田が――」
京介にかかってきた電話の内容はかなり深刻だった。会社の部下が大怪我をしたらしい。
「兄さん、行ってあげた方がいい。ぼくは残るよ。明日また迎えに来てくれる？一人になった方が、おはるさん達が何か言ってくるかも知れないし」
みちくさ―極彩色の悪魔― 前ページへ ４ 次ページへ